「暇だから」早大セレクションへ 17歳の怪物・阿久沢毅が選んだ意外な進路
1978年の春のセンバツ甲子園で、あの王貞治以来20年ぶりとなる2試合連続本塁打を放ち、日本中を驚かせた桐生のスラッガー・阿久沢毅。その夏も聖地に戻り、プロ野球12球団がドラフト候補として熱視線を送った怪物が、まさかの進路を選んでいた――。
群馬大会を勝ち抜き、甲子園では初戦の膳所に18-0と圧勝した桐生だったが、2回戦で県岐阜商に0-3で敗れた。試合前の打撃練習では絶好調だったにもかかわらず、県岐阜商のエース・野村隆司投手の前に沈黙。「タイミングは合っているのに押し込まれて三塁側のファウルになってしまう。『なんで打てないんだ』という苛立ちがあった。後で考えると、あれがジャイロボールだったのかもしれない」と振り返る。
デニムに合う。履くだけで「ちょいワル」Tapoon 悔し涙を流すチームメートを横目に、阿久沢氏は泣かなかった。敗戦直後の取材で口にしたのは「甲子園という素晴らしい大会が、100年まで続いてほしい」という言葉。1915年に始まった選手権は2015年に創設100年を迎え、今年で第108回。66歳となった今も「甲子園を続けることは簡単ではないけど、今も続いてほしいと思っている」と願いは変わらない。
高校野球を終えた後、プロ12球団からドラフト候補として名前が挙がり、雑誌でも特集されるほどの注目を浴びた。しかし、本人の心はまったく動かなかった。「プロの方も結構来てくれたみたいだけど、全部自分で対応していたわけじゃない。先生から『どうするんだ』と聞かれても『プロはいいです』と。じゃあどうするのか、自分でもまだはっきり決めていなかった」。
そんな中で起きたのが、進路を巡る“騒動”だ。相棒のエース・木暮洋氏が早大のセレクションを受けることになり、阿久沢氏も誘われて「暇だから一緒に行くよ」と同行。全国の有力選手が集まる重要な選考の場とは知らず、練習会のような感覚で臨んだという。
ところが、リラックスして打席に立つと、打球が次々とスタンドへ消えていった。「調子が良くて、パカパカ入っちゃった。宮崎監督が『もっと打たせろ』となって、だんだん雰囲気が変わってきた。『これはまずいぞ』と思いましたね(笑)」。翌日の新聞には阿久沢氏の早大進学を伝える記事が大きく掲載された。早大側からその後も受験を勧められたが、本人に入学の意思はない。何度かやり取りを重ね、最後は丁重に断った。「安易な気持ちで行ってしまって、本当に申し訳なかった。私立大を受けること自体、『簡単な気持ちではできないな』と思うようになった」。
プロも早大も選ばず、最終的に進んだのは地元の国立・群馬大学教育学部。その理由は「近かったからです(笑)。落ちたら浪人すればいいと思っていた。体育の先生は面白そうだな、楽しそうだなとは思っていたけど、当時から明確に教員を目指していたわけでもなかった」。
日本中が将来を期待した“王2世”は、世間の評価ではなく、自らの感覚で次の道を選んだ。そして、なぜプロのスカウトが自分をそこまで高く評価したのか、その答えを知るのは高校時代から30年が過ぎた後のことだった――。
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