勝手に100万円“借金肩代わり”…元中日左腕・米村明が捨てた1800万円プロ契約
「バカ野郎!」——大学監督にそう叫ばれた元中日左腕・米村明氏。その理由は、なんと勝手に決められた“借金の肩代わり”だった。
PL学園から中央大に進んだ米村氏は、1年春から結果を残し、2年春にはリーグ優勝に貢献。急性肝炎で離脱するも、同年秋の入れ替え戦では日大を相手に1部残留へ導く好投を見せた。しかし、本人は元々野手志望。「ピッチャーを積極的にやりたいと思ったことは一度もなかった」と振り返る。
夜間運転用メガネが今ドライバーに急増中ナイトライダー 3年時には当時のキャプテン・高木豊さん(元横浜、日本ハム)に直談判。「ピッチャーを辞めさせてください」と頼み込んだが、高木さんは「いや、ピッチャーはいないよ、ヨネ。とりあえず、ピッチャーをやっとけよ」と説得。その一言が米村氏のその後の投手人生を決定づけた。
大学4年間で60試合に登板し、17勝21敗、防御率2.86の成績を残したが、1学年下の立教大・野口裕美投手(元西武)に全日本代表の座を阻まれ、「プロ入りは無理だな」と社会人・河合楽器入りを考え始める。
ところが、自分が正式に決断する前に、事態は思わぬ方向へ動いた。ある日、マネジャーから突然「米村さん、ありがとうございます!」と感謝される。「何や、わけのわからないことを言うなよ」と返すと、マネジャーは「河合楽器さんが“米代”を払ってくれました。宮井の親父も喜んでいました」と説明。当時の寮には米代の借金が100万円ほどあり、それを河合楽器が米村氏の入団を前提に肩代わりしていたのだ。
数日後、宮井勝成監督に呼ばれた米村氏。「おい、お前、河合楽器に行くんか?」と聞かれ、「えっ、何でですか」と困惑。すると監督は「実はヤクルトから、1800万くらいで、ドラフト外で契約してくれるという話が来ているけどどうする」と明かした。
米村氏はすでに河合楽器からグラブなどの道具も受け取っており、「河合楽器に100万、もらったんでしょ。マネジャーが“助かった”って言っていましたよ」と事情を話すと、監督は「バカ野郎! それは球団からもらう金で返せば済む話なんだ」と一喝。
しかし米村氏は「もういいです。僕は河合楽器に行きます。その代わり、2年後、必ずプロに行かせてください」と決断。「監督も『わかった。それは約束する』と言ってくれました」と振り返る。
「大学からプロに行っても一線級で活躍できるわけがないし、プロにはあと2年間、社会人で揉まれてからでもいいんじゃないか」という考えもあった。だが、結果的に社会人野球を2年で“卒業”することはできず、3年後に中日入り。1800万円のプロ契約を自ら手放し、河合楽器への道を選んだ男の野球人生は、その後も波瀾万丈の連続だった。
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