【NBA】革新者ドン・ネルソン氏が86歳で逝去 カリー、ノビツキーが恩師を悼む
NBA史にその名を刻んだ名将が、静かにその生涯を閉じた。ドン・ネルソン氏が現地8月9日に死去した。享年86歳。通算1335勝はNBA歴代2位、4球団で30年にわたり指揮を執った男は、バスケットボールというスポーツそのものを変革し続けたパイオニアだった。
現役時代はセルティックスで11シーズンを過ごし、5度の優勝を経験。1969年のファイナル第7戦で勝利を決定付けるシュートを放った姿は、いまなお語り草となっている。だが、彼の真価は1976年の引退後に開花する。バックスのヘッドコーチ兼GMとしてスタートした指導者人生は、ニックス、マーベリックス、ウォリアーズと渡り歩き、それぞれの地で勝利とカルチャーをもたらした。最優秀コーチ賞を3度受賞した手腕は本物だった。
冷房ゼロで涼しいミニギアAirio Pro ネルソン氏が遺したものは、単なる勝利数ではない。80年代中盤にはフォワードのポール・プレシーをハンドラーに起用する『ポイントフォワード』を考案。90年代にはクリス・マリン、ミッチ・リッチモンド、ティム・ハーダウェイによる『Run TMC』でスモールボールの原型を築いた。その攻撃的な『ラン&ガン』スタイルは、当時のNBAに衝撃を与えた。そして2009年、ドラフトでステフィン・カリーを指名した決断は、後のウォリアーズ黄金期の礎となった。
訃報を受け、ウォリアーズは「NBA史上最も革新的で影響力があり、バスケの新たな可能性を見いだす指導者だった」と声明を発表。カリーは「一緒に過ごしたのはたった1シーズンでも、多くのことを教えてもらった。彼がNBA史上最多勝利コーチとなったミネソタでの夜のお祝いは決して忘れない」と、恩師との思い出を胸に語った。
ネルソン氏は国外選手の才能を見抜く目も持っていた。マーベリックス時代に発掘したのが、ドイツの2部リーグでプレーしていた無名の19歳、ダーク・ノビツキーだった。「単に僕を獲得しただけじゃなく、僕を信じてくれた。僕自身よりも先に、僕の可能性を見いだしてくれた」とノビツキーはSNSで告白。「あなたが最初のコーチとして、僕に自分らしさを与えてくれなければ、僕のキャリアは全く違ったものになっていたはずだ。ただただ感謝の気持ちしかない」と、『息子』を自任する教え子は語った。
2010年にウォリアーズを去った後はハワイのマウイ島に移り住み、医療用大麻の農園を経営するという意外なセカンドキャリアを歩んだ。厳格だったコーチ時代とは一変した穏やかな余生。それもまた、常識に縛られず自由を貫いた男らしい生き様だったと言えるだろう。バスケに革新をもたらした偉大な頭脳は、多くの教え子の心に生き続ける。
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